漂えど、沈まず。

文化系税理士 佐藤 龍 のブログです

【追悼】京アニ放火事件に寄せて

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なんと痛ましい事件であることでしょう。

京アニ放火事件について、わたしは多くの人々と同じく、悲しみを表現することしかできません。加害者のことも、被害者のことも、冷静に考えることができません。

ハルヒ』、『けいおん』はいわずもがな、多くの京アニ作品は確かにわたしの人生の一部であり、丁寧で上質であり、かつ、アグレッシヴでときに先鋭的な表現に、わたしは何度も刺激を受けました。

小4 の娘も大好きです。

けいおん!』で育ち、今年の夏に一緒に『響け! ユーフォニアム』を観た彼女は、いまクラシックギターを習っていて、吹奏楽ではオーボエをやりたいな~、なんて宣っています。

 

 

…この痛ましい事件については、言語化するのにはまだまだ時間がかかるな、と思っており、軽はずみなことを書くのはよそう、と思っていました。…しかし、こんな記事を見つけまして、わたしの慰めになったのと同時に、気持ちを代弁してもらっている用に感じたので、引いておきます。

 

 

京アニが大好き (さとるり)

先日の京都アニメーション様の事件について。この場で書くかどうかすごく迷ったのですが、やっぱりどうしても伝えたくて。私たちが持つ‟メディア”という道具が少しでも役に立てればいいなと思い、書かせていただきます。いつも私、ここではふざけた感じのことばっかり書いてるのでちょっと戸惑う方がいたらすみません。でもどうしても伝えたい気持ちがあって。部署の皆様、弊社の皆様、同業の皆様、私のワガママをお許しくださいませ。

私は京アニの作品が大好きです。クオリティに関しては、私なんかが今更説明するまでもなく、素晴らしいことは皆さんご存知だと思うのでここでは語りませんが、大学時代ハルヒダンスをリア充パリピの子たちと踊ってその場を沸かせたときに、初めて「え? 人前でオタクって名乗っていいの?」というような衝撃を受けました。それまではアニメを見てることやゲームをしてることって、知られたらちょっと白い目で見られたりすることもあって、なかなか人前で言うのって憚られていたんです。今でこそオタクって一種ステータス化してきて‟オタクすげえ”!ってなるじゃないですか。逆に「私なんかがオタクって名乗ったらもっとすごい人たくさんいるからな、畏れ多くて言えないや」なんてなってるじゃないですか。

なんかハルヒのあたりから、ニコニコ動画とか流行したことなんかもありましたが、私たちアニメ好き、ゲーム好きにとってすごい時代が変わったなーって思いました。あのハルヒダンスで自信がつかなかったら、きっとその後オタ活している中でどこかで心が折れてしまって、今の私もなかったのではないかと思うんです。オタ活は超楽しいですが、その豊かなオタライフの基盤を作ってくれたのは京アニさんだったと思っています。

そんな素晴らしい京アニの作品の中でも、私はとくに『Free!』が好きで、この作品のおかげで今まで生きていくことができました。これは別にオタク特有の誇張表現ではなくて、「あ~辛い死にそう……でも『Free!』の続編見るまでは死ねないな」なんて何度思ったか分からないし、2020年に映画があることが発表された時も「2020年まで絶対に悪いことして捕まったりしないようにしよう、事件にも事故にも災害にも気をつけよう」なんてことを周囲にも言っていました。私がこんなことを言っているのを聞いた人、いるかもしれませんが……。ついこの前のことのように思えます。あ、そういえば‟えっか”といっしょに『TYM』観て、秋葉原のコラボカフェも行ったよね! 楽しかったなあ。

んで、じゃあ「続編が見られないから悲しいの?」って思う人もいるかもしれません。でも分かってほしいのは、決してそれだけじゃないんだってこと。

私たちファンは、いつもいつもクリエイターさんたちのことを尊敬し、愛していました。もちろんこれからも。あちらは私のことは知らないかもしれない。でも、イベントに行ったり、クリエイターズブックや雑誌のインタビューなどを見て、勝手ながら私たちファンは、クリエイターさんのことをとてもとても近い存在に感じていたんです。勝手に監督さんやキャラデザさんのことを愛称で呼んで、「監督! 今回も最高だったぜ!」と1話終わるたびに叫んでいました。

だから、決して決して、面識が無いからといって他人だなんて思えない。いつも京アニの皆さんとは一緒に生きていると思っていたし、これからもずっと一緒だと思っていました。だからこそ大好きで大切な人がいた場所が燃やされ、心も体も深く傷つけられて、精魂込めて作った作品にも影響が出てしまうことが、とてもとても悲しい。

でもそれを分かってくれる人が周囲にいなくて、「続編が見れないから悲しいの?」とか「知り合いがいたわけじゃないんでしょ」などと言われて、傷ついている人も多いのではないでしょうか。そして「私なんかが傷ついている場合じゃないのに」なんて自分を責めたりしているのではないでしょうか。日々少しずつ減っていく報道や、知人の反応などといった、そういった世間との温度差に悲しくなることもあるかもしれません。

なんで分かるかというと、まさに私がそうだからです。事件以来、心無い言葉にたくさん傷つけられました。

だからこそ、同じ思いをしているかもしれないファンの仲間に伝えたいんです。私も同じだよ、ひとりじゃないんだよって。

ここ数日私はずーっと辛くて辛くて毎日泣いていたし、今だってこれを書きながら泣いてるんですが、同じような気持ちを持っているファンの子たちといつも一緒にいるような気持ちでいさせてもらっています。これからもそうさせていただきます。

だから「ご遺族のほうがたいへんなんだからメソメソすんな」なんて言葉や、続編見たかったんでしょ、知り合いじゃないのに大げさな、なんて言葉に傷ついてほしくないし、悲しむ自分のことを責めないでほしい。

私たちが悲しくなるのは当たり前だよ、だって私たちこんなにこんなに、京アニのことが好きなんだもん。

だから同志のみんな。今は傷が癒えるまで、どうか無理はしないでね。自分たちが応援できること、焦らなくてもいいから時間をかけてゆっくりやろう。金銭的支援じゃなくても、できることってあると思うから。それでいつの日かいっしょにイベントとか参加して、笑える日がくるといいな。
(『RW夢』の映画は週1、2で通っているので新ピカで見かけたら声かけてね!)

最後になりましたが、この度の被火災においてお亡くなりになられた方々へ、心よりのご冥福をお祈りいたします。ご遺族及び関係者の皆さまにはお悔やみ申し上げます。また、お怪我をされた皆さまのご回復を心よりお祈り申し上げます。

只のいちファンに過ぎない私ですが、心はいつも皆さまと同じところにあります。

(編集部:さとるり)

 

30年前の小学生の頃、わたしもこれと似た経験をしました。

当時、ゲームブック作家、鈴木直人先生(今で言うならラノベ作家ということになるのでしょう)の本に夢中だったわたし。ドルアーガ三部作が完結し、感動とともに祭りが終わった後の満足感、虚脱感、寂しさに毎日ボーッとしていたときでした。

 

悪魔に魅せられし者

悪魔に魅せられし者

 
魔宮の勇者たち (創元推理文庫―ドルアーガの塔)

魔宮の勇者たち (創元推理文庫―ドルアーガの塔)

 
ドルアーガの塔〈3〉魔界の滅亡 (創元推理文庫)

ドルアーガの塔〈3〉魔界の滅亡 (創元推理文庫)

 

あれはたしか七夕のとき、学校のイベントだったと思います。

自分の願い事を書いて短冊に吊るそう、という学校のイベントがあり、わたしは深く考えずに鈴木直人先生の本がたくさん売れますように」と書いたんですね。

素直というかなんというか、その当時はドルアーガ三部作は世界で一番好きな本で、皆にこの本のことを知ってもらいたかったし、先生の続編が読みたくて、それが一番がスムーズになるのは人気作家になることかな、なんて思ったのでしょう。とにかく、迷いはなくて、半ば誇らしげにその願い事を吊るしたのを覚えています。

満足げにたたずむわたしに、その短冊をみたクラスメイトの女の子の清水さんは言いました。

「これ、どういうこと? 意味分かんないんだけど」

不意をつかれて、言葉に詰まります。

「ん? いや、これ、オレが好きな作家なんだよ。好きな人が人気になったらいいじゃん。」

この頃は関東に住んでいたので文末が「じゃん」でも違和感なし。

「わかんないよ。この人の本が売れたからって、さとりゅーとはなんの関係もないじゃん」

いや、金銭的な利益はないかもしれないけど、それとは別の気持ちの問題であってだな、わたしはこの人から、毎日すごく一歩踏み出す勇気とか、そういう生きるためのエネルギーをもらってるんだよ。だから、その人に感謝の意を表す意味で、その人の幸せを望むのは自然なことだと思うし、これはおそらく誰もに共通する感情だと思うよ……そんなことを伝えたかったのですが、当時のわたしにそんな語彙力、人間力はなく、相対的に早熟である女子の達者な口に応えられませんでした。

この時期の女の子は、なんと憎らしいことでしょう。

まるで小難しい学説・理論を覚えた精液くさい男子大学生のように、細かいところを突いて粘着的に反論してきます。ひとしきりピーピーわめいて、男子が黙ってしまうと優越感に満ちた表情を浮かべて一輪車に乗ってどこかに行ってしまう。

優越感に浸っている清水さん。そこに担任のO先生登場。

助かった! 先生ならわかってくれるはずだ! わたしの気持ちを。

…あ。清水がこれまでのいきさつを説明しはじめた。同調を求めるような喋り方だけど、先生ならわかってくれるはずだ。自分にはなんのメリットもないようにみえるけど、尊敬してるものを応援したくなる気持ち、ありますよね。

 

「……う~ん、ごめん、先生もわかんないや。この鈴木直人さん、佐藤くんの知り合いとか親戚の人? あ、ちがうのか。じゃあ、なんでこれが願い事になるんだろ」

 

・・・ブルータス、お前もか! 

 

当時はよくわかってなかったと思いますが、このとき、わたしはこのことばの言わんとすることを理解しました。あ、この二人には話してもムダだな、と、スーッと熱が引いていくのを感じ、まあまあ、これはぼくの願い事だから何でもいいじゃないですか。などと適当にお茶を濁したことをおぼえています。

 

強度・深刻度はぜんぜん違うし、感情のベクトルも正反対ですが、さとるりさんが書いておられる、今回のことでショックを受けている方が経験している「周囲の人と共感を得られない」という二次ショックは、このときのわたしの気持ちと似ているのではないか。そんな事を考えました。

 

「続編が見れないから悲しいの?」とか「知り合いがいたわけじゃないんでしょ」などと言われて、傷ついている人も多いのではないでしょうか。そして「私なんかが傷ついている場合じゃないのに」なんて自分を責めたりしているのではないでしょうか。日々少しずつ減っていく報道や、知人の反応などといった、そういった世間との温度差に悲しくなることもあるかもしれません。

・・・

「ご遺族のほうがたいへんなんだからメソメソすんな」なんて言葉や、続編見たかったんでしょ、知り合いじゃないのに大げさな、なんて言葉に傷ついてほしくないし、悲しむ自分のことを責めないでほしい。

 

そんなことを言う人、いるんですね。幸いにして、わたしのまわりからはそんな声は聞きませんでした。というか、さとるりさん、職場で大泣きしたりしちゃったのでしょうか。よっぽどショックだったのでしょうね、職場の人が心配するくらいでしょうから。きっと、その周囲の人も、悪意があってそんなことを言ったんじゃないのでしょう。あなたに元気をだしてほしいから、励ましのつもりで言った言葉だと思います。あなたにとっては逆効果だったかもしれませんが。

畢竟、このつらい気持ちは共感できないものなのでしょう。

でも、それは仕方ないことですよ。

あなたの心の中のもっとも柔らかい部分は、だれも他の人とは共有できない、あなただけのものなんです。わからなくてあたりまえ。わかってもらえない、ということに傷つかないでください。

さとるりさんの記事の繰り返しになるかもしれませんが、いいんですよ、思いっきり悲しんで。周囲の雑音に傷つかないでください。リア充っぽいやつも、好きなスポーツ選手や俳優が不慮の事故でなくなったら、ぜったい同じ反応しますよ。

わたしの短冊に疑問符をつけた清水さんは、中学校に入ってジャニオタになりました。なんだよ。お前だって同じじゃないか。お前に言われたくないよ。

 

最後に、ひとつだけ、みなさんに言わせてください。

この辛い気持ち、悔しい気持ちを、心の片隅に置いてあげてください。

これからの人生で、今のあなたと同じ悲しみ・苦しみを味わう人に会うことでしょう。そのときに寄り添ってあげてほしいんです。

今回の事件について、いまのわたしが書けるのはここまでです。

被害者の方々のご冥福をお祈りします。