漂えど、沈まず。

文化系税理士 佐藤 龍 のブログです

ワインにおける「マリアージュ」とは? 口内調味との異同の可能性。

ワインが好きです。

といっても、好んでワインを飲むようになってから、まだ1年も経っていません。でも、今では飲むお酒はほぼ100%ワインだけです。こんなにワインを好むようになったのにはいくつか理由があるのですが、きっかけとなったのはこの本。

 

医者が教える食事術 最強の教科書――20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68
 

 

 懇意にしている顧問先の社長から紹介していただいたこのベストセラーに、白ワインの効能としてデトックス、痩身効果があると書いてあったからです。以前から赤よりも白を嗜んでいたわたしは、進んで白を飲むようになりました(「炭水化物」「糖質」の摂取の方法など、ほかにもこの本からはたくさんのことを学びました)。

 

さて、ワイン好きになった後で、さらにこの世界に深く足を踏み入れることになったのは、「マリアージュ」を知ってしまったからです。

これを体感したときは本当に衝撃的でした。合わせて食した瞬間、ワイン、チーズの風味は消え、そのどちらとも異なるが、しかし確かにそれぞれの余韻の残る新たな風味が立ち上がりました。ーーそうか、これがマリアージュか。以後は、積極的に新たなマリアージュを求めて赤を選ぶようになりました。

で、このマリアージュなんですが、実はずっと漠然とした疑問をいだいていたんですよね。これって日本で言う口内調味のこと? って。ところが、そう思って物の本を読んだり、先輩のワイン好きの方々と話をすると、話が食い違うことがよくありました。

このわたしの疑問について、実に論理的に、そして繊細に解説されている文章を見つけました。このサイトにある、「ワインにおけるマリアージュの真意」という考察です。これが本当に素晴らしい。

 

あまりに長い文章なので、いくつか、わたしが感銘を受けたところだけ引いていきます。

 

 私は日本の食文化の歴史で特に注視しなければならないのは「口内調味」であると考えている。口内調味とは、日本人特有の食事方法である。もともと日本人にとって食の中心は「米」であり、中世以降、日本人の食事は高盛飯と言う方法で御飯がよそわれ、食膳の中心に据えられ、そしてそれを囲むように少量のおかずが配置されるというスタイルが確立されていった。まずは御飯を口に含み、その後におかずを口内に含むことで味付けを行いながら食事が行われていたのである。つまりこれは御飯とおかずのマリアージュという状態とでも言えるのかもしれない。

 

わたしのマリアージュについての考えの出発点もここでした。なんだ、マリアージュって、ずっと日本人がやってきたことじゃないか! って。それならわかるよ、ワインに合う、合わないってやつでしょ? と。……しかし、話はそう簡単ではないのです。

 

 日本人の食事方法である口内調味について述べてきたが、これを取り上げた事には重要な理由がある。この口内調 味について、玉村豊男氏は著書『食卓は学校である』のなかで次のように述べているので以下に引用しておきたい。

 「口のなかに入れた食物の咀嚼を途中で止めたまま、口を半開きにしておいてそのまま次の食物や液体を放り込むの は、けっこう微妙な運動神経を必要とする作業です。(中略)そもそも彼らにはそんな高等な技術を要する芸当は やれと言われてもできないのです。欧米人は、ほぼ例外なく、できないと断言してよいでしょう。」


 ここでも指摘されているように、口中調味は、実は日本人が行うかなり特徴的な食べ方である。味つけのない白い御飯を、口のなかで咀しゃくしながらごはんとおかずを交互に食べて、他のおかずで味つけをするのは日本独自の食事方法であり、西洋にはそうした食べ方の文化は存在しない。

 

そうなんですか。日本人の口内調味が複雑で独特な食文化である、というのは何かで(おそらく『美味しんぼ』)読みましたが、こういうことなのかもしれません。

 

 では、こうした食文化・食法のバックグラウンドの相違のあるなかで、我々、日本人が捉えているマリアージュと、西洋人の捉えているマリアージュは果たして同じものであると言えるのだろうか?また日本人と西洋人の食法の違いが、マリアージュという概念に何らかの相違をもたらし得るのだろうか?続いてこの点に関する説明を試みることにしてみたい。

 

この食文化・食習慣の違いに加え、和食と洋食(欧食?)の味付け、方向性が絡まり合い、それぞれの食文化における酒の位置が定まります。和食は「塩」、洋食は「チーズ」。つまり、和食と洋食では要求される酒の「機能」が異なる、らしいのです。

 

「塩」 - スルメ、メザシ、カラスミ、味噌、鮭トバ、塩辛、酒盗、ウルカ、沖漬け、漬物...
「チーズ」 - 牛乳、バター、生クリーム、卵、ベシャメルソース、生ハム、脂肪分...

 まずは「塩」であるが、こうなってくると日本酒は、御飯の延長線上にあるかのように思われる。かつての日本人が大量の御飯に対して、少量で塩分濃度の高いおかずを食べていたように、その名残として酒肴は日本人の嗜好の中に存在していると言っても良さそうである。子供の頃「酒飲みは御飯を食べない」と聴かされていたが(私は米とおかずを食べながらビール、それは御飯と酒の位置づけが同じを飲むのが好きだが…) スタンスにある事に起因するものだからではないからかと私は考えている。

 これに対して西洋の「チーズ」にまつわるイメージは油分(oil, fat)である。このような口内にねっとりとまつわりつく重厚な食のテクスチャは、こってりとした料理とか、カロリーの高い料理を連想させる。つまりワインで油を洗い流しながら、こうした口内の状態をリセットして次の一口の味わいを高めることが必要なのである。

 

この分析から、次の結論が導かれます。

 

 このように考えると、食文化の相違を背景として、飲料と食事に関して次のようなタイミングの相違があると考えられる。

日本人 – 料理がまだ口内にある状態、つまり咀嚼しながら、あるいは嚥下した直後に酒は口に含まれる。

西洋人 – 料理を咀嚼し、嚥下した後、次の食事の一口に入る前に、間をおき酒を口に含むイメージ

 

素晴らしい ! 非常に細かく、繊細な内容ですが、これ、大事なことですよ。つまり、酒を合わせる対象が、「料理」そのものか、「料理の余韻」なのか、という違いです。ここのところをはっきりさせておかないと、料理の楽しみ方に違いが出てくるでしょう。

これは大きな発見でした、というか、実に丁寧に頭の中を整理してもらえました。 

そういえば、マリアージュというとすぐに連想するのが牡蠣とシャブリ。これ、わたしだけではないはず。いや、隠さなくても結構ですよ、皆さん、元ネタはこれじゃないですか?

 

 

これの「洋食屋の苦悩」という話。

「モンラッシェを持ってこい!」「モンラッシェだろうがコルトン・シャルルマーニュだろうが同じですよ」という話です。 

 ワインについては、まだまだ、もっと書きたいことがあります。40を過ぎてから始めた趣味だからこそ、興味のない人にも伝えられるようなことがあるような気がしていまして。

とりあえず、今日はこのあたりで。

今日もみなさんが文化的な生活を送られることを。