朝日新聞「折々のことば」8/16。
教養って、行き詰まっているときに、どこか思わぬ方角から、光が差し込んでくる、その光の源だと思う。 (内藤正典)
日々の手料理の技に惹(ひ)かれ、このイスラム地域研究者のツイッターを時々見るが、8月5日にこの言葉を見つけた。教養のこの定義、知識を蓄えるとか視野を拡(ひろ)げるとかいった効用を説かず、思わぬ時に自分が助けられるという恵みとして捉えているところが清々しい。そうした教養を彼の調理にも感じる。さりげなくも華やいでいる。 (鷲田清一)
そのとおりだと思います。
でもこれ、鷲田先生も書かれている通り、内藤氏の料理に添えて映える「ことば」ですね。
わたしは、教養ってもっと深みがあって滋養のあるものだと考えています。そう考えると、このことばは修辞的に少し洗練度が足りないような。。。