今回もギャラリーフェイクについてです。
このところ、文化系の記事はこればかり。
どこで知ったのか覚えていないけれど、自分にとって常識となっている知識、価値観。そのいくつかの源は『ギャラリーフェイク』でした。
たとえば、10年ほど前からのベストセラーの『怖い絵』。このシリーズは知的好奇心をくすぐる内容で、わたしも半分以上読んでると思いますが、その第一作目、1枚目の絵画はドガの『エトワール、または舞台の踊り子』でした。
この絵の主役は華やかな踊り子ではなく、むしろその踊り子を後ろから品定めしているパトロンで、当時のバレエ界は踊り子を「囲う」パトロンの存在無くしては成立しませんでした。その華麗な舞台とそれを支える醜悪な現実。ゴヤが描いたのはこの光と影である――技法的な解説にとどまらず、歴史的・文化的に絵画を読み解いていく『怖い絵』シリーズは、ここから始まります。
たいてい、このドガの解説でノックアウトされて中野京子先生のファンになってしまうのですが、わたしはKOされませんでした。「あれ、この話、聞いたことあるぞ?」って。
そう、この絵とそのうんちくって、『怖い絵』の出版の5年ほど前に、すでに『ギャラリーフェイク』で取り上げてるんですよね。
「おそるべきドガ」収録。
中野京子先生は、最近出版された細野不二彦先生の特集ムックにも寄稿されています。そこでもドガのこの絵についても触れられていますね。
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…というように、「ああそうか、これってギャラリーフェイクで知ったのか」というようもの、結構あります。
以前顧問先で『古事記』が話題になったとき、文学部の哲学科出身ということでコメントを求められました。正直、日本の神話は常識程度しか知の蓄えはなかったのですが、そのとき、焦ったわたしは、条件反射的に
「そうですね、『八百万の神々』についてわたしがいつも思うのは、ヨーロッパ、特にギリアシア・ローマ神話とその体系が酷似していることでしょうか。もっとも、これはよく言われているような「多頭蛇の類似」のレベルの話かもしれませんが。一神教と比べて多神教は他の文化・宗教に寛容であると言われます。それは当時のヨーロッパや日本の豊かな自然を反映しているとも。多神教はこの寛容さによってどんどん他の文化を自文化に取り入れていった。ただ、弱点もあって、それは悪霊たちの存在もまた、人々にリアリティをもたせてしまうことです。『古事記』からは少し話が脱線してしまうかもしれませんが、菅原道真、平将門などの怨霊を封じ込めるためにも密教や陰陽道など、ある意味では節操なく利用されました。日本の文化はしょせん輸入学問だ、と自虐する向きもありますが、多文化を抵抗なく受け入れる寛容さは『古事記』に源があるのかもしれませんね」
…と一気にまくしたてて、場を白けさせてしまったことがありました。
思えば、この太字の部分はまるっきり『ギャラリーフェイク』の「メソポタミアを統べるもの」からの引用でした。
「メソポタミアを統べるもの」収録。
エンターテインメントとして楽しいのはもちろんですが、「うんちく」本として、教養本としても有用ですよね、『ギャラリーフェイク』って。
さて、今回の記事、書き始める前は以上をマクラにして、この作品で語られる「男と女」について書くはずでしたが、ここから続けるには半端な長さなので、続きは次回にします。
それでは、きょう一日、皆さんが文化的な生活を送れますように。