漂えど、沈まず。

文化系税理士 佐藤 龍 のブログです

拝啓 樹木希林様。

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H30 10/29 朝日新聞朝刊

拝啓 樹木希林

 

1976年生まれのわたしにとって、あなたはまずFUJIフィルム・ピップエレキバンのCMや、バラエティでの放言が面白い方であり、「ロックンロール!」の奥様、モックンの義理の母でした。

先日、あなたの訃報を仕事中に知りました。いくつか、あなたに関して追悼の文章をしたためることをお許しください。

 

まずは娘様のお話から。

その人を知るには、3つのエピソードがあれば足りる。ニーチェは『反時代的考察』の冒頭でそう語っています。也哉子様に関して、わたしが連想する3つの挿話を書かせてください。

 

1つめ。

音楽と勉強のことしか頭になかった当時、初めて「内田也哉子」という名前を意識したのは、娘様が本木雅弘さんと結婚した報道を耳にしたときでした。そのとき、高校の友人は「モックン、漢(おとこ)だよな、生き方カッコいい」などと申し上げており、わたしも少なからずその言葉に共感しておりました。しかし、今ならこう言います。「なんて文化的な漢(おとこ)なんだ!」と。これはわたしの最高の賛辞であります。『おくりびと』や『東京タワー』に象徴されるように、雅弘さんは内田家の文化的な香りに魅せられ、親族となることを決意されたのでしょう。

 

2つめ。

わたしが初めて娘様をスクリーンで拝見したのは、『東京日和』です。「濃密な愛」を描いたこの映画で、「知る人ぞ知る」時代のアラーキーサブカル女子代表としてサインを求めた小さい役で出演しておられました。このシーンは、時間は短いながらも、アラーキーとその奥様の自尊心を高め、しかし奥様の不安感も高める、という繊細なシーンであり、娘様は見事その役をまっとうされておりました。わたし自身、駆け出しという境遇もあり、『東京日和』というと思い出すのはあのシーンです。

 

3つめ。

菊地成孔『南米のエリザベス・テイラー』のポエトリー・リーディング。

キクチ氏の新作を聴いていて、いきなりねじ込まれるフランス語のポエトリー・リーディング。あれ? カヒミ・カリィじゃないの? と思ってクレジットを確認すると也哉子様のお名前が。アクセント言語である英語と異なり、イントネーション言語であるフランス語と日本語は似ているため、ラップやポエトリー・リーディングの方法は共有できるのではないかと考えておりました。この也哉子様のポエトリー・リーディング、素晴らしいです。その後、菊地氏の『闘争のエチカ』の初回特典として、アカペラの也哉子様のポエトリー・リーディングだけを収めたLPが付けられましたが、当時日常に忙殺されていたわたしはこの情報を知らず、入手できませんでした。返す返すも残念です。

 

南米のエリザベス・テーラー(DVD付)

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あなたが亡くなったことはメディアで知りました。

そのときは来るべき時が来た、と静かに受け止めました。しかし、あの新聞広告、あれは反則ですよ。ウチは朝日です。先日、息子の3際に合わせてスタジオアリスで写真撮影をしたばかりでしたので、その思いも相まって、朝食の納豆を食べながら涙が止まらなかったじゃないですか。

 

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H30 10/29 朝刊

絆というものを、あまり信用しないの。期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから。
だいたい他人様から良く思われても、他人様はなんにもしてくれないし(笑)。
迷ったら、自分にとって楽なほうに、道を変えればいいんじゃないかしら。
演技をやるために役者を生きているんじゃなくて、人間をやるために生きているんです。
代表作? ないのよ。助演どころか、チョイ役チョイ役って渡り歩く、チョイ演女優なの。
自分は社会でなにができるか、と適性をさぐる謙虚さが、女性を綺麗にしていくと思います。
楽しむのではなくて、面白がることよ。中に入って面白がるの。面白がらなきゃやってけないもの、この世の中。
老人の跋扈(ばっこ)が、いちばん世の中を悪くすると思います。
病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ。
死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないから、ケチな私にピッタリなのよ。謝っちゃったら、すっきりするしね。
"言わなくていいこと"は、ないと思う。やっぱり言ったほうがいいのよ。
こちら希林館です。留守電とFAXだけです。なお過去の映像等の二次使用はどうぞ使ってください。出演オファーはFAXでお願いします。
このように服を着た樹木希林は死ねばそれで終わりですが、またいろいろなきっかけや縁があれば、次は山田太郎という人間として現れるかもしれない。
えっ、わたしの話で救われる人がいる?それは依存症というものよ。

 あとは、じぶんで考えてよ。

写真左から、
樹木希林(きききりん)
内田玄兎(うちだげんと):樹木希林の孫
内田雅樂(うちだうた):樹木希林の孫
内田裕也(うちだゆうや):樹木希林の夫
内田也哉子(うちだややこ):樹木希林の娘
内田伽羅(うちだきゃら):樹木希林の孫
本木雅弘(もときまさひろ):樹木希林の義理の息子

 

読売新聞はこう。

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読売新聞 H30 10/29 朝刊

靴下でもシャツでも、最後は掃除道具として、最後まで使い切る。人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるんじゃないかしら。そういう意味で、がんになって死ぬのがいちばん幸せなのよ。
用意ができる。片付けして、その準備ができるのは最高だと思うの。
ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう?そうやって考えると、がんは面白いのよ。
いまの世の中って、ひとつ問題が起きると、みんなで徹底的にやっつけるじゃない。だから怖いの。自分が当事者になることなんて、だれも考えていないんでしょうね。
日本には「水に流す」という言葉があるけど、桜の花は「水に流す」といったことを表しているなと思うの。
何もなかったように散って、また春が来ると咲き誇る。桜が毎年咲き誇るうちに、「水に流す」という考えかたを、もう一度日本人は見直すべきなんじゃないかしら。
それでは、みなさん、わたしは水に流されていなくなります。今まで、好きにさせてくれてありがとう。樹木希林、おしまい。
 サヨナラ、地球さん。

 

読売の広告は後から知ったのですが、希林さん、この広告完璧じゃないですか。それは、素朴なメッセージとして秀逸という意味ではありません。それぞれのメディアの読者へのメッセージとして秀逸なのです。

左翼的な意見を代弁するものとしての朝日新聞へ――読者の皆さん、ちょっと頭でっかちになってない? マイノリティの立場に立っての発言、正しいと思います。あなたの発言はとにかく正しいの。でも、正しいだけじゃ息が詰まるし、それはまた別の問題/差別を産むと思うの。「えっ、わたしの話で救われる人がいる?それは依存症というものよ。イデオロギーって、硬直しやすいのよ。あとは、じぶんで考えてよ。」

保守的な読売新聞へ――読者の皆さん、「日本人である」ことに絶対的な自信をおもちなのね、素晴らしいわ。そして、「樹木希林はがんになってかわいそう」そう考えてるんでしょ。でも、そんなの一面的な考え方なのよ。「がんで死ぬ」のはある意味で理想的なことだし、あなたが誇りを抱いている「日本人」というアイデンティティも別の定義があるかもしれないのよ。これまで自明のものとして正しいと考えていたものにも、別の見方があるかもしれないのよ。あなた達が好きな「桜」に寄せて話しました。保守的なあなたたちから見たら、わたしは憎らしい存在だったかもしれないわね。今まで、好きにさせてくれてありがとう。

 

樹木希林の最後の言葉、朝日と読売に対して、チクリと釘を指してます。

すごいなあ。

いや、樹木希林がすごいのは、がんがみつかったときの2016年のときでわかってたことじゃないか。芸人でも躊躇する自身の死を、すでにネタにして、それを芸術のレベルで表現してるじゃないですか。

 

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2016 1/5 朝刊

死ぬときぐらい 好きにさせてよ

人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進歩して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。

元ネタはもちろんミレーの『オフィーリア』。

もう、なんか付け加える言葉が見つかりません。「レクイエムの名手」菊地成孔氏の言葉を待ちましょう。

 

あなたの最後の言葉、しっかり受け止めました。

樹木希林さん、ありがとうございました。

 

レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集

レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集

  • 作者:菊地 成孔
  • 発売日: 2015/10/24
  • メディア: 単行本