漂えど、沈まず。

文化系税理士 佐藤 龍 のブログです

ヌーヴェル・ヴァーグとヌーヴォー・ロマン(アンチ・ロマン)、そのねじれの位置-Aftermath (3)

前回、前々回に続く、四方田先生によるヌーヴェル・ヴァーグ評。

 

 

 

今回はヌーヴェル・ヴァーグの文化史的な位置づけ、特にフランス文学界との関係について、です。

 

     Ⅲ
 ヌーヴェル・ヴァーグ、ニュー・ウェイヴ、シネマ・ノーヴア、ノイエ・ヴェーレ、新浪潮……。世界のあらゆる都市で新しい映画が生まれでようとするとき、それはかならず〈波〉と呼ばれてきた。なぜ波なのか。寄せては返す回帰の運動だからか。それとも、一群となって押し寄せ、旧来の大地に脅威を与える力であるためか。
 映画は天才をかならずしも必要としないジャンルだ。詩人や小説家と違い、傑出した個人は(ウェルズのように)たいがい呪われた運命を辿る、歴史的に見ても、映画はつねに群の運動のなかで形造られてきた。新しい製作者に新しい監督、新しいカメラマン、そして新しい俳優。これは必要条件だ。ヌーヴェル・ヴァーグにおいても、ボルガールの側にゴダールがいて、その横にはトリュフォーラウール・クタールがいた。電話をすれば、無名のベルモンドや、子役のレオが駆けつけてきた。けれども、新しい波が巻き起こるとき、一般的にいってそこには新しい原作や台詞を提供する新しい小説家や劇作家が傍に控えている場合もあれば、そうでない場合もあった。西ドイツにおけるファスビンダーやクルーゲの両義的な役割、韓国の李東哲(イ・ドンチョル)や中国の阿城(アチェン)が同時代の「新しい波」に及ぼした影響をここで想起しなければならない。
 50年代のフランスの場合には、映画は同時代に進行している文学や演劇の前衛運動と、積極的な共同作業をするには至らなかったし、相互に反映しあって発展するといったわけでもなかった。『来たるべき小説のために』のロブ=グリエバルザック的な古典的小説観を非難攻撃してやまないころ、『大人は判ってくれない』のドワネル少年はバルザック肖像画に無邪気にお灯明を献げていた。『終電車』に登場するメロドラマは、あたかも不条理演劇などパリに存在しなかったかのような安定した話法の秩序に基づいている。わずかにゴダールの異化効果への情熱と、リヴェットの反復強迫の回路化を例外的な慰めとすべきだろうか。皮肉なことに、ミニュイ書店が50年代はじめに刊行しだした「新しい世代の小説」は、まずヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれていた。しかし、ヌーヴォー・ロマンの作家たちには、公然非公然を同わず、どこかしらヌーヴェル・ヴァーグを見下しているところがあった。連中は結局、スクリーンでフラソソワーズ・サガン程度の新しさを演じているにすぎない、といった印象批評があり、それで終わりだった。けれども、トリュフォーにしたところで、アメリカのハードボイルド小説の翻訳を手にすることはあっても、クロード・シモンの小説などほとんど何が書いてあるか、理解できなかったにちがいあるまい。

 

新しい小説のために (1967年)

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終電車 Blu-ray

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 50年代の前衛文学者のなかには、のちに個人的にではあるが、きわめて重要な映画作家となった者もいた。ベケットの『フィルム』、デュラスの『インディア・ソング』、ロブ・グリエの『エデンその後』。そこにはヌーヴェル・ヴァーグの映画青年たちとはまったく無縁のままに、独自に企てられた映画的探求の跡が歴然としている。トリュフォーロメールといった監督がどこまでも現実に存在している個々のフィルム(ルノワール、ヒチコック、フォード)への熱中からしだいに映画そのものへと魅惑され、結果的に商業映画のシステムを内側から支える側へと廻ったのとは対象的に、こうした小説家は、映画という表象システムを根拠づけている原理そのものに深い関心を寄せ、そこに実験的思考が介在する余地を見出した。

 

Film

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Beckett on Film [DVD]

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インディア・ソング/女の館

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 フランスでは、この二筋の動きは、レネとロブ・グリエの『去年マリエンバートで』といった例外的な場合を別とすれば、ほとんど有意義な交渉をもつことなく、無関係のままに終わった。これは両者の性格とともに、限界をも際立たせることになるだろう。戦後フランスにおける二つのモデルニテ――小説におけるヌーヴォー・ロマンと映画におけるヌーヴェル・ヴァーグの間のズレと不幸な関係は、いったいどこに起因しているのだろうか。わたしは今その原因を端的に説明できないでいる。

 

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去年マリエンバートで [Blu-ray]

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 映画史をふり返ってドイツ表現派からイタリアのネオレアリズモ、中国の「第五世代」までを考えてみる場合、敗戦や革命直後の混乱か一国の映両を面白いものにするという画期的な現象につきあたる。では、フランスではどうしてヌーヴェル・ヴァーグの出現が遅れたのだろうか。ドゥルーズは『シネマ1』のなかでその間の事情を、フランスがドゴール政権下のもとに建て前上は戦勝国となり、戦後もしばらくの間、映画が「フランス的夢」に奉仕し、その伝統的な枠組の内側でしか自己実現されなかったためである、と語っている。思うに、ここに述べた文学と映画の乖離も、こうした事情と無関係ではないはずだ。だが、どのように説明がつけられるにせよ、ある時代の映画が、人脈なり世代の若干の差といった問題は抜きにして、主題においても、話法においても、同時代の文学運動とほとんど接触のない場所で行なわれたという事実は、やはり奇妙なことであり、不自然なことではないだろうか。

 

シネマ 1*運動イメージ(叢書・ウニベルシタス 855)

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シネマ2*時間イメージ (叢書・ウニベルシタス)

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なるほど、これは実に興味深い。

60年代のフランスで同時代的に起こった、映画の革命である「ヌーヴェル・ヴァーグ」と、文学の「ヌーヴォー・ロマン」は、それぞれ独自に行われたものであり、ほとんど没交渉だった。これは興味深い指摘です。あまり考えたことありませんでしたが、言われてみればそうなのかも。

日本ではそんなことはなかったはず。当時の映画と文学と音楽、そして演劇の前衛分野は、政治的な傾向を基盤として強いつながりがあったはず。もっとも、わたしはその次代を実際に生きたわけではないので、伝聞でしかありませんが。

 

さて、本文でも言及された『去年マリエンバートで』。

あれほどの博覧強記である柳瀬尚紀氏が、映画を守備範囲としないのは、学生時代に初めてみた映画が『去年マリエンバートで』だったからだとか。で、それ以来映画に興味がなくなった、ということを、わたしはやはり学生時代に若島正先生の授業で教わりました。

 

「映画は天才をかならずしも必要としないジャンルだ。」という一文は深いですね。示唆に富んだ言葉です。

もう1回だけ続きます。