漂えど、沈まず。

文化系税理士 佐藤 龍 のブログです

追悼 ベルナルド・ベルトルッチ監督(四方田犬彦、東京新聞 12/11)

わたしがもっとも敬愛する知識人、文筆家、映画史家、四方田犬彦先生。四方田先生によるベルトルッチの追悼文、東京新聞に掲載されていたそうです。東京の友人に教えてもらいました。

 

20世紀を追い続けた巨匠

ラストエンペラーベルトルッチ監督を悼む 

四方田犬彦東京新聞 12/11)

イタリアの映画監督、ベルナルド・ベルトルッチが逝去した。享年七十七。

十年にわたる宿痾を克服し、『孤独な天使たち』を引っ提げてカンヌ国際映画祭に現れたのが二〇一二年。車椅子に座りながら、これからは大きな映画ではなく自分の背丈にあった映画を撮りますと宣言したときには、記者会見にいあわせた誰もが奇跡を信じ、彼の情熱の強さに感動したものだった。それがいっこうに次作が現れず、今回の訃報となった。残念で仕方がない。二十世紀の映画界で巨匠と呼ばれうる最後の一人が、ついに亡くなってしまったのだ。

ベルトルッチの描く世界は甘美にして残酷である。ファシズムのイタリアを嫌い、亡命先のパリで暗殺されてしまう大学教授。アパート捜しの途中でふと知り合った初老男とセックスをしてしまう女子大生、絢爛豪華な宮殿のなかに一人置き去りにされた少年皇帝。自殺した妻の遺体を前に、彼女の愛人と人生の悲哀を語りあう初老男。誰もが他者の到来に脅え、懐かしき幸福な日々の思い出に捕らわれつつ、癒しがたい孤独を生きている。

ベルトルッチを国際的に有名にしたのは、『ラストタンゴ・イン・パリ』における「過激な」セックス描写であった。だがわたしにはこのフィルムは、すべてに挫折し、もはや性の不吉な欲望にしか慰めを見いだせない者たちの、絶望に満ちた作品のように思われた。三十一歳でこれほど恐ろしいフィルムを撮りあげてしまった監督は、それ以後何をすればいいのだろうと、思わず懸念してしまったのである。

ベルトルッチ監督は戦後イタリア映画にあって、まさに御曹司であった。著名な詩人アッティリオ・ベルトルッチを父親に持ち、パゾリーニがはじめて映画を監督するにあたって、助監督に就いた。二十一歳で監督デビュー。モラヴィアの『孤独な青年』を原作に『暗殺の森』を撮ったあたりから、性と政治、ファシズムと倒錯という主題に囚われ、二十世紀全体を丸ごと映画として表象したいという強烈な自覚を抱くにいたった。それはやがて『1900年』と『ラストエンペラー』という大作に結実した。前者は世紀の初頭に生まれた地主の息子と小作人の息子とが、立場こそ違え、ファシズムを乗り越えて長年の友情を確認するという叙事詩である。後者ははからずも満州国皇帝に擁立された溥儀の、幼少時代から帝国崩壊までの日々を、その傷つきやすく無垢な心のままに辿った物語である。

ラストエンペラー』で東アジア現代史に挑戦したベルトルッチは、その後、マルコ・ポーロの足跡を真似るかのように、未知の世界をめぐり、意気揚々として大作を撮り続けた。『リトル・ブッダ』や『シェルタリング・スカイ』といったフィルムである。いずれもが美とグロテスク、恐怖と魅惑とが隣り合っている作品だ。イタリア映画がオペラに多くのものを負っているとはよくいわれることだが、思うにこの時期の彼は、ヴェルディが『リゴレット』を作曲していたときの高揚状態にあったはずである。

ベルトルッチと会ったのは一度しかない。『ラストエンペラー』のニューヨーク試写会の後、出演者である陳凱歌(チェン・カイコー)らを交えて、イタリア料理店で卓を子囲んだときのことだ。彼はとても上機嫌で、わたしが日本人だと知ると、僕はいつも溝口健二のことを考えながら撮ってたんだと、親しげに語りかけてきた。カットを途中で細かく割るのが嫌いなんですねと答えると、そうそうと相槌を打ちながら、みんなの皿にスパゲティを取り分けてくれた。その魂の安からんことを。

(よもた・いぬひこ 映画・比較文学研究)

 

浅田先生の追悼文が、ベルトルッチの経歴をできるだけ簡潔に、そして客観的にまとめ、その功績をこの監督のことを知らぬ人々にも伝えようとする教育的、啓蒙的な方針で書かれているのに対して、四方田先生のこの追悼文はエゴイスティック。比べて読むとよくわかります。

 

エゴイスティックというのは、利己主義という意味ではなく、「自分が出ている」程度の意味です。浅田先生の文章からはなるべく自分を消そう、という意志が感じられますが(しかしそれでも「浅田彰」がにじみ出ていますが)、四方田先生の文章からは読み物として読者を満足させよう、という匂いがします。それをあたかも客観的な解説のように綴られているのが四方田先生の巧妙なところで、四方田節は健在ですね、安心しました。『ラストタンゴ・イン・パリ』の「すべてに挫折し、もはや性の不吉な欲望にしか慰めを見いだせない者たちの、絶望に満ちた作品」という解説、当時のご自身の心境が投影されていませんか?

もう少し浅田先生との比較をさせていただくと、浅田先生はベルトルッチをコンテクストの中におさめようとされていますが、四方田先生はベルトルッチについて新たな視点を提示し、解釈の地平の拡大に導こうとされています。マルコ・ポーロヴェルディ溝口健二ファシズムと倒錯……。「二十世紀とは、「精神分析」「ファシズム」「映画」の世紀のことである」と喝破する四方田先生にとって、ベルトルッチはその表象に成功した存在のひとりだったのでしょう。

そして、やはりベルトルッチは「二十世紀の映画界で巨匠と呼ばれうる最後の一人」なのですね。浅田先生も逡巡の後でそのようにベルトルッチを評されていました。

多忙なこの時期における、貴重な文化的な経験でした、ありがとうございます。

最後に、細かい表現なのですが、「撮りあげてしまった」という言葉に感銘を受けました。「書きあげる」という表現には違和感はありませんが、「撮りあげる」という言葉はあまり見たことはありません。でも、作品に投入された労力を考えると、明らかに文学作品よりも映画のほうが多くのエネルギーが使われているわけで、「撮りあげる」という表現は素晴らしいと思います。

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