昨日の続きです。
フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』で放送されたこの作品から、内田裕也氏の言葉を引いていきます。
音楽に出会ったのは中学の頃。エルヴィスに出会ったのね。ジョン・レノンと同じですよ。……何と表現したらいいかわからないね。なんかこう……妙な性的興奮を覚えましたね。
…俺は、何十年もヒット曲はなにもなくてやってきたんだからすごいよな。
ビートルズの「No Where Man」をやったとき、加藤かつみがコードを弾いたんだけど、トニックも取れなくてね。…メッチャ、カッコ悪かったね。
人間、ちょっと悲劇的な方がアレだよ、俺は好きだから。
・ 内田裕也氏は日本で初めてステージでサングラスを掛けて歌った男、らしいです。これは当時の日本では考えられなかったとか。駆け出しの頃の十八番は、プレスリーの「トラブル」のサビ、「My daddy was a green-eyed」のところで、いきなりサングラスを投げ捨てる! …しかし、その後、客がハケた後に床に這いつくばってウロウロとサングラスを探した、という目撃情報も。
・ 大阪、なんばにある、今のTSUTAYA EBISUBASHI店には「ナンバ一番」というジャズ喫茶があり、そこに裕也さんはポール・アンカの「ダイアナ」でオーディションを受けたがダメだったこと。
…などなど、当時をうかがうことのできるエピソードも満載。崔洋一監督が自ら車椅子を押しながら裕也さんと当時の場所を訪れるシーンもいいです。そうか、TSUTAYA EBISUBASHI店が「EBISUBASHI」とローマ字表記になっているのは、裕也さんへのリスペクトなんですね、いまわかりました!(本当?)
ハングリー精神あふれる、監督とのこの会話もいいです。
監督…おれ、「これは嫌だ」って、めったに言わないんだけどさ、(このドキュメンタリー、)「遺言」ってタイトルだけは勘弁して。もっとまだやりたいことがあるから。そこで遺言って言われちゃったらさ、もう…。
そりゃそうですよね。というか、裕也さんは自分が死ぬなんて考えてないと思います。
実際に共演したことがなくても、内田裕也のような人がいてくれることは、若いミュージシャンたちの救いだと思います。音楽的にどうこうじゃなくて、精神的支柱というか。
そのまま、家族から「見事な男性でした」と言われるような生を全うしてください。
そういえば、『コミック雑誌なんかいらない!』でピンク映画界から一般映画界へのデビューを果たした滝田洋二郎監督は、『おくりびと』を撮ることで内田家の男2代を主演として世に送り出したんですね。今気づきました。