漂えど、沈まず。

文化系税理士 佐藤 龍 のブログです

「進化」の系譜学(Genealogy)。佐藤良明、『ラバーソウルの弾み方』

今日は備忘録です。

 

本棚の整理をしていたら、こんな本が出てきました。

 

ラバーソウルの弾みかた  ビートルズと60年代文化のゆくえ (平凡社ライブラリー)

ラバーソウルの弾みかた ビートルズと60年代文化のゆくえ (平凡社ライブラリー)

 

 

この本、サブカル関係の読書ガイドには必ず挙げられる本で、わたしもご多分に漏れず、埼玉の田舎から上洛したその最初の年に慌てて丸善に走って読んだ覚えがあります。しかし、当時は深く感心せず、ふ~ん、と通り過ぎただけでした。

今から思い出すと、この本で語られる60年代のレトロスペクティブは90年代後半の学生には食傷気味の常識でしたし、ラバーソウルに象徴されるビートルズ(=音楽)分析は、学生生活のほとんどを文化的なもの(≒ 音楽)に費やしているわたしからすると、ひどく物足りないものだったからでしょう。

そんなわけで、この本は電子化しちゃおうかな、と思ってパラパラ復習したところ、ちょっとメモしておこうと思った箇所があったのでメモしておきます。

 

「進化」という言葉について、良明氏は巻末に詳細な註を付します。

「進化する」という日本語は、「全体」が「前」を向いて「向上する」というイメージをもっている。英語のevolveという動詞のイメージは、水が吸い込まれるときにできる渦を逆回しにしたもの(volveは回転、e- は out)。要するに、「新しいパターンが湧いて出て、それが展開していくこと」がevolutionである。民族一丸となった発展にみんなが興奮していた重工業時代なら、それを「進化」と訳して正解だっただろう。いま、その訳語は時代遅れになり、そのためだろう、ハイテク業界のうたい文句としての用法ばかりがめだつようだ。この本では、古い訳語を継承するけれども、そこには、「前」向きのイメージも「上」向きのイメージもないのだという点を、最初におさえてほしい。

 

ああ、この註、よくわかります。

そして、多くの人々がこの註に「?」となる心情もわかります。

思い起こすと修士時代、19世紀ドイツの進化思想を調べていたときに、わたしも良明先生と同じ問題を考えていた時期がありました。

ここで先生が問題提起しているのは「進化」と「進歩」の違いであり、この2つの言葉の違い、またはそれぞれの言葉が表す意味についての注意を喚起されているのだと思います。

ちなみにドイツ語では「Evolution」と「Fortschritt」。歴史・文化/文明・民族主義・覇権…それらが混在して「進歩/進化」を目指していた諸国家が、新しく生まれたダーウィニズムに飛びついて、ナショナリズムな政治家が「進化思想」を都合のいいように解釈していく。そしてそれに反論するダーウィン使徒ブルドッグ)たち……というのは、20世紀後半にマルクスに関してもう一度繰り返される構図でもあります。

 

まあ、本棚を整理していたら、そんなことを思い出したんですよ。

でも、いまの学生だったら、菊地成孔氏の『憂鬱と官能を教えてくれた学校』でしょうね。文化/政治背景を抑えながら音楽史を概観できて、若者の知的好奇心を刺激する本は。

これには本当に刺激を受けました。

 

 

上に挙げたのは文庫版ですが、わたしはハードカバーが出版され、その著者インタビュー・販促?で全国を回られているときに、京都の新風館でお会いし、サインもしてもらいました。

そのとき、菊地さんはサインしながら「えーと……サトーくん、と。」とつぶやきながらプシューッとティエリー・ミュグレーの「ANGEL」をわたしの本に噴霧してくれました。そうか、あれは15年前のことなのか。

 

憂鬱と官能を教えた学校

憂鬱と官能を教えた学校

 

 

最後は思い出話になってしまいました。

とりあえず、やっと『ラバーソウルの弾み方』を電子化することができます。

みなさん、いい夏休みを。