漂えど、沈まず。

文化系税理士 佐藤 龍 のブログです

「泣きながら描く。」(荒木飛呂彦先生 インタビュー、朝日新聞 2013年 9/14 フロントランナー)

やった。

ずっと探していた、荒木飛呂彦先生の朝日新聞のインタビュー。年末の発掘作業で見つけました。そうそう、興奮しながら切り抜いた記憶はあったから、絶対どこかにあるはずだと思ってました。 

これ、おもしろいんですよ。素晴らしいインタビューなんです。5年半前のインタビュー、『ジョジョリオン』連載開始直後、アニメは第一部と第二部の間くらい。…いま、ジョジョの歴史を調べて気づいたんですが、『ジョジョリオン』って、もう8年以上連載してるんですね。

 

朝日新聞 2013年 9/14 フロントランナー

「描き続けることが、漫画家のやるべきことかなと」

荒木飛呂彦さん 漫画家

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自宅の仕事場で。作画にコンピュータは使わない。東京都世田谷区、郭允撮影

 

―芸術の都、フィレンツェで個展が開催されました。漫画を超えて、アートですね。

 とても不思議な感じ。名誉ですね。日本人だけどルネサンスの画家の技法とかを勉強して、取り入れて描いてるんで、そのあたりがなじんでいるのかもしれないと思いました。でも、漫画家の仕事というのはある。漫画を描いて、雑誌に載せて頂いて、それを売るということ。そこはやっぱり超えちゃいけない。

―イタリアは、荒木さんに大きな影響を与えていますね。

 色づかいや組み合わせ。ショックも受けましたね。ゲイの人たちの感覚も。男性なのにエロいというか、女性的な靴とか履いてる感じで、組み合わせが異様だった。ボタンがカミソリだったり、安全ピンとか。ありえないんですよ。

 もう20回以上来ています。好きな街はローマやナポリキリスト教が浸透する以前のローマ帝国の文化が好きなんです。多神教とか、日本人に近い気がして。

 

漫画のことだけ

―「ジョジョ」は「ドラゴンボール」「聖闘士星矢」「北斗の拳」など人気作が居並ぶ87年に連載が始まり、25年を超えました。着想のきっかけは。
 初代編集者の影響がすごく大きい。「メジャー誌でマイナーをやろう」という人で。人の描いてないところをやらなきやダメだ、と。「渋沢龍彦を読めよ」とか。
―みずみずしい感性を保てるのはなぜですか。
 漫画のことばかり考えているからかな。人間関係のしがらみや上下関係にも縁はないし。10代や20代の子が興味を持っているものがあれば、自分の感覚にないものも、見るようにしています。ゲームとか。最近だと「あまちゃん」。


―登場人物に外国ミュージシャンの名をつけるなど、洋楽の影響も大きいですね。いつも音楽を聴いて執筆されるのですか。
 いま聴いているのは「ダフトパンク」のニューアルバム。CD店の店員が直筆で書いたメッセージを重視して。その熱さで買う。ネットの批評はうそ臭くて。

 

―ネットでは、ご自身の若々しさも都市伝説化しています。「毎日、冷水シャワーを浴びる」とか。
 あんまり考えたことないんだけど。身長も体重も、デビュー当時からあまり変わっていません。(冷水シャワーは)昔はね。心臓に悪いかもって。

 

泣きながら描く

―日々のスケジュールは。
 週休2日で金土は休み。週刊の頃のまま。朝10時に起きて11時に仕事を始める。夜12時に仕事を終えて、午前2時か3時に寝る。
 昼に2、3時間、休憩を取って毎日ジムに行く。姿勢を伸ばさないと腰痛や腱鞘炎になるので。ジムでは毎日3キロ走ってます。

―華麗な色づかいに魅せられるファンも多いです。
 「地面をピンクに塗ってもいい」と教えてくれたのはゴーギャンの作品でした。実際の色と違ってもいいんだ、と。小学生の頃からやってました。

 

―物語の結末は、前もって考えていないそうですが。
 でも、週刊の漫画家は全員そうですよ。来週どうなるか分からない。読者によってストーリーが変わるから。

―伏線をどう回収する?
 キャラクターが、自然に着地する。人間と一緒で未来は予測できない。作者がキャラクターの動きをコントロールすべきではない。絶対わざとらしくなるから。
 キャラクターがポロッと言ったセリフに「何ていいやつなんだ」と思うこともある。

―「ジョジョ」では、主要な登場人物が死ぬ場面も多いです。
 いっつも泣きながら描いてます。死ぬ場面は本当につらい。「ああ、はかないな」と。

 

―連載中の第8部「ジョジョリオン」は被災地が舞台で、記憶喪失の少年が主人公です。東日本大震災で日常を断ち切られた日本人すべての映し鏡にも見えます。
 それは、偶然なのかな。発想としては、(記憶喪失の情報部員が主人公の)映画「ボーン・アイデンティティー」とか。記憶喪失の少年が流れ着く、というのは震災前に決めていたので。

―震災当日は。
 東京の家にいました。前日に、(第7部)スティール・ボール・ランの原稿を描き終えてたので、さあ来週からっていう頃だった。

―なぜ被災地を舞台に?
 (仙台がモデルである)杜王町を舞台にすると決めて、ストーリーの打ち合わせをしていた。触れないわけにいかなかった。
―舞台を変えようとは思わなかったのですか。
 気は使ったよ。でも触れないのは絶対おかしいな、と思って、あの描き方になった。
―ご出身は仙台です。
 父方の親戚の家は津波で流された。死んだ者はいなかっだけど。
―震災で、何かが変わりましたか。
 漫画家について改めて考えた。何ができるか考えたら、やっぱり漫画描くのが漫画家かなと。被災地に対する態度というか。描き続けることがやるべきことかな、と。
―作品で、元気を与える。
 それが漫画だったり、絵描きだったり、ものをつくる人の目的なんだろうな、と思います。

 

ファンが読みたいと思い、「読んでよかった!」と思うインタビューです。インタビューアーも荒木ファンなのでしょうか、実にいい質問です。荒木先生を知らない読者のことも考慮しつつ、コアなファンも喜ばせる編集。とにかく素晴らしいです。

カジポンさんも軽く触れているように、このインタビューではなんといっても「いっつも泣きながら描いてます。死ぬ場面は本当につらい。「ああ、はかないな」と。」の部分が白眉。

 花京院が死んだ回は本当に辛かった…。確か、初夏から夏にかけての時期だったでしょうか、ジョジョ好きの友人と悲嘆に暮れたのをはっきりと覚えています(ただ、「DIO戦」があまりにすごすぎて、今で言う「花京院ロス」に襲われたのは第三部が終了し、高校受験が一息ついた頃だったと思います)。死ぬシーンはどの人も悲しく、印象的ですが、辛いといえばイギーでしょうか。重ちーの死には、無名の市民の死、理由なき死、快楽殺人犯による死の意味を考えました。本当、億泰と同じ気持ちになりましたよ。

 この言葉、「キャラクターがポロッと言ったセリフに「何ていいやつなんだ」と思うこともある」「結末は考えずに描いている」というところと合わせて、『BAKUMAN』で言うなら秋人のような計算型の秀才でなく、本能タイプのクリエイターであることの証拠と言っていいのではないでしょうか。

 

 これ以上、このインタビューに付け加えることはありません。荒木先生が書かれた(語りおろし?)2冊の新書とともに、このインタビューがなにかを創ろうとする人々の糧となることを祈って終わります。

 あ、このフロントランナー記事、1面の写真記事もありますので、後日引かせていただこうと考えております。

 

荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)

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