今日は先日の細野不二彦先生の記事の続き。
いよいよ『ギャラリーフェイク』について書きます。
『ギャラリーフェイク』の素晴らしさについては、いまさらわたしが言葉を重ねる必要はありません。第41回小学館マンガ賞受賞(H7)とか、そんな経歴も言わずもがな。なにより、同業者のこの1コマの方が説得力があるのではないでしょうか。
作品名を並べただけで冨樫先生の細野愛、楳図愛が伝わってくる1コマ。余談ですが、『HUNTER×HUNTER』の念能力には秀逸なものが多いですよね。
振り返って読み直してみると、これが止まらない、止まらない。わたしの人生指針や価値観に大きな影響を与えている作品であることがわかりました。
正直なところをいうと「フジタって変態だよねー」「三田村館長って萌えだよねー」程度で終わるかな、と思ってたのですが、とてもそんな内容では終わらせられない作品であることを実感!
なので、数回にわたってこの作品への愛を述べたいと思います。
ああ、ギャラリーフェイクの新刊を手に取ることができる幸せ……。
今回はフジタの「美」の価値観、「美意識」全般について。
「芸術は大衆のものだ」とーーキミは言ったな!?
しかし、それはちがうぜ。
芸術はその美を知り、かつ独占する能力を持った者のものさ!
え? そうなの?
確信を込めて語るフジタの言葉に、読者の戦後民主主義的な価値観が揺らぐ。
そして、揺らぐ価値観が漂着するところは、次のフジタの言葉なのです。
くっくっく おまえさんもバカ正直だね。
レンブラントの真贋もわからない人間が、なぜモネの真作を持つ必要があるんだね?
(ART1. 贋作画廊(ギャラリーフェイク))
そこにシビれる! あこがれるゥ!
第1話目にしてこのセリフ!
この瞬間、この作品は名作となることが約束されました。
改めて読み直してみると、第1話(じつは第1集全体も)はカンペキな構成です。
ちなみに、同じ第1集にはこんな1コマも。
がむしゃらに働いてきた経済人によくあるタイプさ。
ある日おのれの無教養に気づき、突然美術品を買い漁り始めるが、そこをつけこまれて、偽物やクズをつかまされる。
オレのような人間にとってはくみしやすいエモノのはずだが…… (ART3. 北斎の市)
ダブルのスーツがまぶしい。
この「のはずだが……」がフジタの魅力。早いうちにそこに気づいたサラの審美眼もすごい。
このコマを引いて、あれ? と思いました。
わたしの記憶では、「成金」のなんちゃって芸術家気取りを馬鹿にしていると思っていたのですが、この話ではどこにも「成金」という言葉は使われてませんね。どうもわたしが脳内変換したようです。ただ、この話がわたしに及ぼした影響は大きくて、以後、わたしは自他の区別なく「にわか」な分野には謙虚を求めるようになりました。たしか、『美味しんぼ』にも同じような話があったはず。あれもスーパーだか百貨店の社長でした。
決定的なこの第1話のことば。
「美」に関するフジタの哲学の全貌が伺えたのは、第一次連載も佳境に入った第30集のことでした。
(第30集 シルクロードからの土産)
あれ? ピークドラペルなのにダブルじゃないの?
……って、そんなことはどうでもよろしい。
第1話目で触れられた「能力」について言及されています。「13人めのクーリエ」でも表れたフジタの「美」についての考えです。
汚い言葉遣いは文脈を選んで、効果的に使わなければいけない。上でも、フジタが下品な言葉遣いをしているのは1コマだけ。細野先生、構成力が才気走ってます。
他には、フジタが名探偵よろしく20年前の殺人事件を解き明かす「メソポタミアを統べるもの」(第22集)の「魂に時効はない!」という言葉もいいのだけど、やっぱり言及する人も多いこれについて触れないわけにはいきません。
(第10集 「頽廃都市 後編 ベルリン → ウィーン」)
諸行無常なフジタ。
今回の騒動の発端は、フジタがギュンターの絵画の才能を見誤ってしまったこと。そんな反省もあるのかもしれません。この第10集は、集のタイトルにもなった名作「山水の星」や、いつになく親密なフジタと三田村館長の様子が描かれた「Making of the raisonne」、そして『ギャラリーフェイク』の数少ない恋愛名作「ロンドン編」もあり、中期のピークを示す1冊です。
というわけで、少しだけフジタの紹介をしただけでこれだけの分量。この作品については、まだ、まだまだ語りたいことがあるので次の機会に。
今日も皆さんが文化的な生活を送られることを。