漂えど、沈まず。

文化系税理士 佐藤 龍 のブログです

映画のラスト・エンペラー ベルトルッチ監督を悼む「前衛の後で、なおかくも」 浅田彰(朝日新聞 11/30から)

イタリアの映画監督、ベルトルッチ監督が亡くなりました。朝日新聞に、浅田彰先生の追悼文が掲載されました。ずいぶん久しぶりに浅田先生の文章を読みました。

 

 

映画のラスト・エンペラー ベルナルド・ベルトルッチ監督を悼む (批評家 浅田彰朝日新聞 11/30 朝刊)

 一九六八年の前衛の爆発のあと反動に堕すことなく映画を撮り続けることは可能か。端的に言って、ゴダールパゾリーニのあと映画は可能か。ヌーヴェル・ヴァーグを自分なりに変奏した瑞々(みずみず)しい『革命前夜』(64年)の後で若きベルナルド・ベルトルッチが直面したのは、そんな根源的な問いだった。

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26日に77歳で亡くなったベルナルド・ベルトルッチ監督

 その難問との苦闘の中から、ベルクが師シェーンベルクの頭脳的実験を継承しつつドラマティックにして甘美なオペラを生み出したように、ファシズムを描いた傑作『暗殺の森』(70年)や視野を20世紀イタリア史全体に広げた巨篇『1900年』(76年)が、また年上のフェリーニらを超えて黄金時代の映画を新たに撮り直したかのような大作群――とくに坂本龍一の壮麗な音楽で彩られた『ラストエンペラー』(87年)や『シェルタリング・スカイ』(90年)が生まれる。

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暗殺の森

 その探求は晩年にも止むことがない。他民族化したローマを揺れるキャメラで描く『シャンドライの恋』(98年)や、病気で車椅子生活になってから若者たちの現在に迫った『孤独な天使たち』(2012年)は、老匠の作品とは思えぬ若々しさで観客を驚かせた。六八年五月革命を描いた『ドリーマーズ』(03年)だけは、つまらぬ原作を選んで失敗しているのだが。

 六八年の50周年に訃報に接して思い出すのは、晩年の彼のその若々しさだ。だが、「今後ベルトルッチに匹敵する映画作家が登場するだろうか」と自問したとき、「前衛の爆発を超えて歩み続けた彼の足跡自体が答はイエスだと示している」と確信しながらも、「ベルトルッチの死でわれわれは映画のラスト・エンペラーを失ったのではないか」という思いを禁ずることができない。

 坂本龍一が病を克服して去年発表したアルバム『async』には、『シェルタリング・スカイ』で原作者ボウルズが人生の無常を語る声とその各国語訳をフィーチャーした「fullmoon」という曲がある。その終盤に出てくる深いメランコリーを湛えたイタリア語は実はベルトルッチの声だ。その諦念に対し、アルセニー・タルコフスキー(映画監督アレクセイの父)が永劫回帰のヴィジョンをうたった詩をフィーチャーする「Life, Life」が応える。いまはこの二曲を聴き返し、ベルトルッチの映画を見返しながら、前衛の爆発(ある意味での「映画の終わり」)から出発してなおかくも豊かな映画の数々を残したその歩みを反芻するばかりである。  (寄稿)

 

浅田先生、その切れ味鋭い筆致に安心しました。くだらない情緒に流されず、事実関係を的確に並べる先生のそのスタイルから、学生時代に多くのことを学びました。いまの若い人々も、先生の追悼文から多くの固有名詞をたどり、無駄なく、スマートに映画史に足を踏み入れることができるでしょう。

こんなことを申し上げるのはおこがましいのですが、ベルトルッチ監督の訃報に際しては、わたしも浅田先生と同じようなことを考えました。もっとも、わたしが浴びるように映画を観た時期の作品、 『シャンドライの恋』と、恐らく多くの人々がベルトルッチ監督と結びつけて想起する『ラストタンゴ・イン・パリ』に言及されなかったことは少し意外でしたが(いえ、前者はわたしの個人的な思い入れに過ぎませんし、後者はベルトルッチ監督がゴシップとともに思い出されないように、との配慮でしょうか)。

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それにしても、固有名詞の洪水に目眩がしそうです…。ベルトルッチ、『ラスト・エンペラー』、坂本龍一、『リトル・ブッダ』……ベルトルッチ、『ポール・ボウルズ』、四方田犬彦、モロッコ、『裸のランチ』……溺れそうになりました。しかし、わたしはベルトルッチ監督作品よりも、坂本龍一担当の音楽を聴きたくなってしまいました。公開当時は、その大仰さにはあまり惹かれなかった『ラスト・エンペラー』のサントラ。『リトル・ブッダ』とまとめて、『async』と並べて比較したら、いまのわたしにはどう聞こえるのでしょう。なんとかして年末年始に『coda』を観る時間をつくり、この計画を実現したいと考えています。

 

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「リトル・ブッダ」オリジナル・サウンドトラック

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ベルトルッチ監督の訃報に際し、少しのあいだ、文化的な流れに身を浸すことができました。浅田先生、ありがとうございます。最後に、先生の記事に添えられた、ジェレミー・トーマスのコメントを引いておきます。

 

「勇気ある男」

ベルトルッチは世界の映画界に巨大な足跡を残して去りました。勇気のある男でした。現場ではスタッフの意見をきちんと尊重し、包容力のある優しい男でもありました。彼は詩的な方法で困難なテーマを勇気をもって追求しました。そして、それを美のベールに包んで映像にしてみせる才能があり、ました。一緒に様々な困難を乗り越えてきた思い出がよみがえります。最高のパートナーでした。

(英国プロデューサー、ジェレミー・トーマス)

 

【補足 2018, 12/20 】

浅田先生のこの追悼文ですが、「完全版」が公式に公開されていました。

 

REAL KYOTO

映画のラスト・エンペラー ーベルナルド・ベルトルッチ追悼(2018, 12/7)

こちらの「完全版」、本文は同じ内容ですが、「ゴダール」「パゾリーニ」「ベルクとブーレーズ」「1900」「坂本龍一」「孤独な天使たち(原題『僕と君』)」「アルセニー・タルコフスキー」について、本文の軽く2~3倍以上の解説文が追加されています。さすがコンテクストありきな浅田先生、「ベルトルッチについて語るなら、当然これくらいは踏まえておきなよ」な文章、勉強になりました。しかし、この本文以上の量の解説文を読んで、訳書に思いっきり自分の思い入れを語り尽くす、わたしが浅田先生と同じくらい敬愛する山形浩生先生を連想してしまいました。…と言うと、浅田先生は嫌悪されるかもしれませんが。

さて、このベルトルッチの訃報、わたしがもっとも敬愛する四方田犬彦先生も東京新聞に追悼文を寄せていることを知りました。この文章については、またいずれ。