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鷲田先生、よくぞ取り上げてくれました!
「Fluctuat nec mergitur」って、スバリ、このブログの元ネタです。
わたしは開高健氏にならって「漂えど、沈まず」としましたが、
そうなんです、この言葉、欧米圏では古典のひとつですよね、たぶん。
Fluctuat nec mergitur
(パリ市の紋章から)
◇
ラテン語で「揺れども沈まず」という意味。国家や都市はしばしば船に喩えられるが、パリも古くからその紋章に帆掛け船をあしらい、この句をモットーとして掲げてきた。アンヌ・イダルゴ市長も先のノートルダム大聖堂の火災時に、パリ市民に、何としてもみなでこの「痛み」から立ち直ろうとツイッターで呼びかけ、この句を引いた。ちなみに、彼女はスペイン出身で、パリで初めての女性市長。
(朝日新聞 2019, 5/28 折々のことば 1475)
なるほど、この、ノートルダム大聖堂の火災で注目されたのでしょうか。
日本では「知る人ぞ知る」な言葉なわけですが、欧米でも半ば風化した言葉だったのかもしれません。
このタイミングでこの言葉を挙げられたのは、5月病から立ち直ったフレッシャーズ、いや、梅雨を目前にどんよりとした気持ちの人々を意識してのことだと邪推いたします。
思うに、文化活動というもの、そして大上段に構えて言ってしまうなら、人生そのものにあてはまる言葉です、この「漂えど、沈まず」という言葉は。
人間、長いこと生きていると、「息をしているだけで楽しい!」というときもあれば、「何をしてもうまくいかない」という、八方塞がりなときもあります。
この言葉、わたしは、そういう長い人生全般に対して、
波の上下はあるかもしれないが、沈んでなければ大丈夫。
そんな、意図的に肩の力をぬいた「決意表明」前向きのメッセージと受け止めています(「意図的に」というところがミソ)。
いや、もう少し深堀りすると、文化活動というか、何かを突き詰めようとするとき、「ひとつの立場に固執する」というスタンスって、進歩とか前進を妨げる場合があるじゃないですか。そういうプライドにこだわったり、意固地になるのって馬鹿らしくてムダな行為だな、と思います。自戒の念を込めて。
この「漂えど、沈まず」って、そういう意味も含む、射程の広い言葉ではないかと考えてるんです。
……それにしても、今回の「折々のことば」、どこまで共感を得られたのでしょうか。
わたしのように、郵便箱で一面をみて感心・狂喜したような読者、ほとんどいなかっただろうなあ。
開高健名言辞典<漂えど沈まず>: 巨匠が愛した名句・警句・冗句200選
- 作者: 滝田誠一郎
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